>>260/序章
この世に幽霊は居る。
こんな事を言うと、電波とか前世系だとか云われるのは解っている。
だから僕は幸いにもそんな事を友達にも、親兄弟にも云った事は無い。
けれど、考えてもみてくれ。
細菌は、微生物は、顕微鏡が発明される前からも確かに存在したのだ。
心だって、意識だって、具体的には何処に存在するものなのかまだ解っていない。
解明されていない。
けれど、見えなくたって理由が解ってなくたって、人間が心を持っているのは常識。
そう、古代よりの共通認識だ。
かつては、幽霊や呪いや妖怪お化けだって、共通認識の内に成り立っていた。
けれど最近どうにも、一般人はこれらを否定しているのだ。
此処五十年で、アメリカでは既に異星人が地球に来ているのが共通認識となった。
それなのに此処五十年で、日本では幽霊なんか居ないってのが共通認識になった。
けれど、それじゃあ困るのだ。
別に、共通認識がそうである事が困るんじゃあない。
真実が、そうであると困るんだ。幽霊は、存在してくれなくちゃ困る。
何故かと云えば―――
「あいつだ、あいつが儂を殺したんや」
そうで無ければ、僕は重度の精神障害を煩ってる事になるのだから。
パラノイア、とか云うんだっけか。
僕が見ている光景、体験した事をありのままに話せば、きっと僕はそう呼ばれる。
間違いない。
「幸い、殺される時に奴のコートのボタンを一つばかしむしり取ってやった。けど、このまま奴を帰したらコートを処分されてまう。日本の警察は優秀言うても、所詮検挙率は二十パーセントや。八割は逃れてまう。そんなん嫌や。だから、坊主。一生のお願いやから―――見たと、言ってくれ。あいつが儂を殺すのを見たと、言ったっとくれや」
けれど、それは案外間違ってないのかも知れない。
僕がこのおっさんの言う通りにしなければ、きっとおっさんは僕に付きまとう。
おっさんにとって、僕は唯一の話し相手なんだから延々と話され続けるだろう。
証言をしてくれ、警察に証言をしてくれ、と。
四六時中、むさいおっさんにそう頼まれ続けるのだ。
きっと僕は、僕にしか聞こえない声にうんざりし、発狂し、誰かに訴えかける。
おっさんが、おっさんがずっと囁いて来るんだ、と。
そして僕は白い壁のある病院へと運ばれる。間違いない。間違いない。
二度確信するぐらい間違いない。
そして、そんなのはごめんだ。
「あの、刑事さん」
「ほら、野次馬は帰った帰った。見せ物じゃねぇんだ」
「俺、犯人、見たかも知れません」
「よっしゃあ坊主、言うたれや! 証拠はちゃあんと儂が握ってるんやからな!」
こうして僕はまた、面倒事に巻き込まれた。
と云っても、今回は楽な方か。
一日程度、拘束されるだけで済むだろうから。
「いやあ、ほんま助かったわ! ありがとな、兄ちゃん!」
おっさんは、云いながらその姿が足から薄れていっている。
天国だか、地獄だか、畜生道だか輪廻道だか知らないが、おっさんはそこへ行くのだ。
本当はただ消滅するだけかも知れないが、幽霊だって存在するんだ。
天国や極楽、救済の地があったとしてもいいじゃないか。
そう思っておいた方が、きっと安らかに死ねる。
元より宗教はその為に存在するのだから。
「儂が死んでるのに、儂を殺した奴がのうのうと平和そうに生きてるなんて、死んでも死にきれんもんな。いやあ、助かったでほんま」
「死んでも死にきれない割には、既に死んでるけど」
「ははっ、ちげえねえ」
全く悪びれせず、満足そうな顔で消えて行く。
これだけ大往生って顔をされると、そう悪い気はしない。
感謝されずに怒る人は居るけど、感謝されて悪い気がする人はそうは居ないだろう?
そう云う事だ。悪い気はしなかった。
「それじゃな、兄ちゃん。儂みたいに余り人の恨みは買うもんやないで」
「……肝に銘じるよ」
何でもおっさんは金貸しで、犯人は債務者の一人だとか何とか。
人を殺すのは凶器では無く、人を殺すのは人の意志なのだと実感させられる。
それでも人は、ナイフで人殺しが起きればナイフの売買を取り締まるのだけど。
人の意志や思想は取り締まれないのだから、仕方が無い事なのかも知れない。
昔は思想犯と云って取り締まったらしいけどね。昔は昔、今は今。
何らかの対策を講じないと納得出来無い人々も居るので、そうするしか無いと。
誰もが賢い訳じゃ無いし、誰もが同じ視点で物事を見られる訳じゃ無い。
そんな拙い考えを巡らせている内に、おっさんは綺麗さっぱり消えて無くなった。
良い来世を。
僕はコートの襟を立てて歩き出す。寒いのだ。
早く帰って、暖まろう。
と、言う訳でサクラ吊りたいです。